【第2話】
「帰りたい!」大声で泣いた『泣き石』
河合地区の西側には、標高100mの青野ヶ原台地が広がっています。ちょうど河合西町あたりに、この台地から尾根が突出する箇所があり、大塚山と呼ばれています。この大塚山の先端、一番眺めのよい所に集落の方を向いて、ひとつの石碑(泣き石)があります。この石碑は、高さが約170pあり、自然石でつくられたもので、集落を向く正面には、塔の絵が刻まれており、塔の頂部には、大日如来(だいにちにょらい)を示す梵字が刻まれていることから「大日塔碑(だいにちとうひ)」とも呼ばれています。側面には、永享4年(1432年)の年号が刻まれていることから、亡くなった人への供養塔として、室町時代の前半につくられたことがわかります。
(それでは、ぼちぼちいきましょう。)
むかし、このあたりで力をもっていた人が、山の上にある石碑を眺め、なんとかあれを屋敷に持って帰ることができないものかといつも考えていました。ついに意を決し、家来に言いつけました。「おい、人手を集めろ!あの石を屋敷に持って帰るぞ!」家来たちは、おそれ多いことだと思いましたが、主人には逆らうことができず、人を集めました。
朝早くから皆で山に登り、なんとか石を起こしましたが、重くて重くて、かつぎ上げることができません。仕方なく縄をかけ、少しずつ引っ張りながら屋敷まで持ち帰りました。すでに日は暮れ、夜中になっておりましたので、庭に置くのは明日にしようと皆は眠ってしまいました。すると突然、大きな泣き声が聞こえ、みんなびっくりして飛び起きました。
よく聴いてみると、「帰りたい、帰りたい」と石が泣いているではありませんか。皆は布団をあたまからかぶり、寝ようとしましたが、うるさくて眠ることができませんでした。
次の朝、怖くなった主人は、「この石を元のところに返そう」と皆を集めました。しかし、持ち帰る時はあんなに重かった石が、どうしたことか帰りには軽くなり、ひとりで背負って山まで運べたとのことです。
これ以後、山に戻された石は「泣き石」と呼ばれるようになりました。
つくられてから600年近くたった今も、山の上から河合を見守っています。
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